以前、
亀の歩みというトピを書いたことがありましたが、今度は庭から池への歩みです。
私が亀を発見した時はすでに池方向に歩みだしていたので、どこからやってきたのかは不明ですが池までの距離はだいぶありました。
でも、亀の歩みって結構速いものなのです。かなり池に接近中。
もうすぐ池です。
姿が見えなくなったので、下に降りていって池を覗いたら、気持ちよさそうに泳いでいました。
前回の亀の歩みを見ていても思ったのですが、亀ってゆっくりだけど着実にゴール(この場合は池に行くこと)に進んでいくのです。
そんな姿を見て、ふと私の生活でのゴール(目標)ってなんだろう?と考えてしまいました。
仕事をしている人ならば、仕事に関係する自分なりの達成感や出世など、子育て中の方ならば子供の成長、何かを作っている人ならばいい作品を作り上げることなど、人それぞれいろんなゴールがあるわけです。
ここローラの大学で、以前授業を取っていた時に、「人生のゴール」だったかな、そんな内容の授業があったのですが、短期中期長期的ゴールを定めて生活設計していき、都度見直しや修正をする。みたいな内容でした。
当時私は他の20代の大学生とは歳が大分違ったので、ゴール内容も違っていましたし都度行うべき見直しや修正回数も既に多かった記憶があります。
それから数年が経ち、今の私の生活のゴールってなんだろうか?と亀を見ながら改めて思いました。
人生の軌道修正が多くて、目先の生活の追われているような。
多くの人が行っている仕事も子育てもしていない。
勉強もしていない。
ただ毎日目標を持たずになんとなく生きている。
日々歳をとっていく。
なんかそんなことを考え始めたら気持ちも考えもネガティブになってしまいました。
くま家の周りの小動物たちの様子を観察していると、季節季節やることをやっています。
彼らの人生は短いけれど、やることをやって人生まっとうしていきます。
こんなことを考えるくらい今の私には時間的余裕があります。
時間的余裕がない生活を送っていたときには、もっと余裕のある生活をしなくてはと焦っていましたが、いざその機会をもったら、どうしたらいいか分からなくなる。
やはり、授業で言っていたように、期間ごとのゴール(目標)を持つことは大事なのかもしれないと今更ながら感じているこのごろです。
<今日のポ語>
cel (的、標的、目標、目的)
”つぇる”
自分の目標を(なんでもいいから)すぐに言える人って素晴らしいです。
私は仕事をしていたときは仕事に追われ、勉強をしていたときは勉強に追われ、海外生活をするようになってからは住居移動に伴う変化の対応に追われ、、、と人生における自分の目標をまじめに考えることもなく生活してきているからです。
目標を持って過ごしている人たちはその方向に着実に進んで行っているのですよね、庭の亀の歩みのように。
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